慢性首こり肩こり改善の足圧施療院

橋本玄樹の人生物語

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院長の人生ストーリーや足圧にかける想い

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足圧施療院 ボディケア青山の院長 橋本玄樹です。
1985年12月27日、京都生まれ京都育ちの伏見稲荷が地元です。スポーツ大好きアクティブ人間。
趣味もバス釣り・作詞・作曲・バンド・自転車・食べ歩き・人間観察・筋トレ・熱帯魚・ミニ四駆などなど。笑

少し長いですが、そんな僕の人生ストーリーに、少しばかりお付き合いくださいませ。

 

中高バスケ部時代の腰痛

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中高の部活の時には、バスケの疲労でかなりの腰痛に悩まされ、マンション下の接骨院に毎日通っていました。
腰痛がキツくて、練習を休んだり、チームメイトからは理解されずに嫌な思いをしたこともあります。

ストレッチも練習前後、試合前後に必ず30分はするようにしました。
でも中々良くなりません。

高校の時はあまりにも腰が辛いので、バスケ部顧問に紹介していただいた、住宅街の整体にも行きましたが、まったく改善の兆しがありませんでした。
あの時整体に行ったことは、接骨院の先生には内緒です。
しかし、結局はコルセットをしながら、うまく付き合っていくしかなかったのです。


深呼吸しても肺に空気が入ってこない

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部活が終わり17歳くらいからバイトを始めたのですが、体の不調に気づきました。
バイトが終わった後、時々ですが胸の辺りが苦しく、深呼吸しても深呼吸しきれない苦しさが時々ありました。
しかも深呼吸した時、たまに「ピキッ」と肺あたりに痛みが走ります。

「これは病気か!?」

と、思ったんですが、時々なのでほうっておいたんです。
今ならわかりますが、10代にして肋間神経痛だったのです。
でも深呼吸してもしきれず空気が入ってこない苦しさは、誰にも相談はしませんでした。
青春期の多感な時だったので、体の悩みを悟られたくない強がりです。

 

周りには内緒で精神安定剤の服用

 

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高校も卒業し、大阪にある音楽の専門学校にほぼ毎日通う日々が始まりました。
朝起きて大阪へ→終わってすぐ京都へ戻る→練習→バイト→作曲→3、4時間ほど寝る
この繰り返しが始まります。自分のやりたいことには没頭し突き進むタイプなのですが、徐々に体を痛めつけていたのが今になってわかります。

そして、深呼吸しても空気が入ってこない現象が、毎日起こるようになります。毎日と言いますか24時間365日胸の辺りが苦しいんです。
首も調子が悪く、横を向くをこれまた「ピキッ」と激痛が走りました。

 

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家族や友達には内緒で精神科医に行き、自律神経失調症と診断されました。
うつ病一歩手前でしたね。首の筋肉が硬くなると自律神経までも、調子を崩すのです。
自律神経の調子を崩すと言うのは、単純にいうと精神的に興奮しているのでリラックスが不可能な状態。

あまり気は進みませんでしたが、薬をもらい、わらにもすがる気持ちで精神安定剤を2週間服用しました。
特に何も症状が改善されなかったので、服用はやめ呼吸法やネットで調べた事を色々試しますが、全く改善は見られません。

今の僕がカウンセリングすると、睡眠不足やストレスから来る自律神経の乱れ、作曲作詞など長時間のデスクワークから来る、肩甲骨周りのコリと首のコリから来る神経の圧迫、とまぁこんなところでしょう。
まさに現代病だと思います。

 

何もかも投げ出して放浪の旅

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21歳の時には色々抱えすぎて何もかも嫌になり、深夜バイトから帰るとすぐ、置手紙だけして実家を家出しました。
バイト先の主任にだけ迷惑をかけると謝り、抱えていた事も、彼女も、音楽もすべて投げ出して、放浪の旅です。
海に着くまで辛かったいろんな感情があふれ、号泣しながら電車に揺られていました。

まず夏だったので、福井のキレイな海を見に行き、浜辺で寝てしまって火傷寸前黒焦げになり、めちゃめちゃおいしいさばを食べました。

素泊まりできる宿を見つけ、近くで釣りをし、釣具屋のおっちゃんには「自殺するなよ」とだけ言われたのが、強く印象に残っています。

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少ない貯金を切り詰めての生活。お金がなくなってきたので、携帯でバイトを探しました。
見つけたのが高原バイト!長野の高原地でレタス栽培のバイトです。
高原バイトは泊り込みでご飯付き!これはイイと思い、長野へ向かうことになりました。
ここで、農業初体験の21歳青年は、食べ物と人の温かさに触れることになります。

高現地で泊り込みさせていただいたご家族の皆さんは、京都で出会うことの出来ない人の温かさを持ったご家族でした。
病んでいる僕の心に染み渡るような、ほんわかしたぬくもりがそこにはありました。
キレイな青空、澄んだ空気、おいしいレタス、一歩外に出ると、中国かと疑うほどあふれた中国人(農業の勉強らしい)。

しかし!想像以上に雑草抜きが過酷なのです!収穫も常に中腰で腰に負担がかかってました。
そう、また腰痛になってしまいました。

農家の人には約束で、1ヶ月と言われましたが、それどころではなく腰が限界。
自分が腰痛で悩んでいたことも思い出しました。

長野滞在1週間、計1ヶ月の放浪の旅は腰痛のおかげで、幕を閉じることとなります。

京都に帰ってからは、周りの人に少しづつ自律神経失調症のことを伝えると、「私もやで」「俺も仕事で忙しくなったから息がしにくくなったわ」と、意外といるんだなぁと、自分だけではないと少し安心したんです。
また夜バイト→音楽(作詞・作曲・LIVE)の日々が始まります。

 

よし!青森のリンゴを売ろう!

りんご売り

 

やはり自律神経を正常にするには、規則正しい昼の生活がいい!
と言うことで、長いこと働いた夜のバイトを辞めて、ネットで見つけた「リンゴ好き集まれ!」という求人雑誌を見つけ、バイトにいくことになりました。よし!リンゴを売ろう!とリンゴ好きな僕にはワクワクしました。

ここでの出来事は衝撃の数々!何が衝撃だったのかと言うと、俗に言う「飛び込み営業」でリンゴを売ります。

まず売る前に、バイトの僕は近くに停めている軽トラに呼び込みをするんです。

「今青森からおいしいリンゴを持ってきてるんですけど、良かったら見に来ませんか?」

という、基本的な口上をインターホン越しに言うんです。
この呼び込みは、まず家から軽トラに来てもらうことが仕事。
それが出来ないと、いくらリンゴがおいしいからといって、売ることさえ出来ません。
この呼び込みって、驚くほど自分の精神力が問われるのです。
本当においしいりんごなのですが、まず信用されていません。
腹が立つ応答をされてイライラすると、次に行ったお宅も全く出てきてくれません。
なので、お客さんと言うよりは自分との戦いです。雨も風も関係なく呼び込みしまくっていました。

 

りんご

 

数週間後に呼び込みから、1人でリンゴ売りに出かける日がやってきました。
朝いつも通り軽トラにリンゴを積み込んだ後、いきなりこう言われたんです。

「さぁ、玄ちゃん今日から売りに行こうか!いってらっしゃーい!」

と、何も教えてもらわないまま、大海原へ放り出された気持ちで売りに出ます。

それが、中々売れないんですよ。当たり前ですけど。
試行錯誤していても限界があり、ある日ここのリンゴ屋の社長が書いた古びた簡易冊子を読みました。
その冊子の中の一つの言葉にこう書いてあったんです。

「何があっても感謝しなさい!」

その言葉を信じて、あくる日この教えを実行したら、売上げが2倍になりました。
その他にも、人の固定概念が邪魔をして、自分の成長を妨げていることも知りました。
すべて自分次第なんだなぁと感じたことを、今でもよく思い出されます。
とても濃い3ヶ月でしたが、このリンゴ屋で商売の基本を体で覚えることとなりました。

 

ホームページの行商をはじめる

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丁度りんご売りをやめた後、音楽専門学校時代の恩師に、フルコミッションのホームページ営業に誘われます。
確か22歳くらいの時でした。個人での新規事業で、他にないオールフラッシュの動くオシャレなホームページに惹かれました。

「このホームページは欲しい人が沢山いるはず!リンゴのように売ってみよう!」

そんな単純な気持ちで、京都の町中に飛び込み営業に出るわけです。

朝から晩まで、飛び込み三昧!リンゴ売りと違いテレアポもしました。
ネットでいろんな営業ノウハウを探しながら、一人で試行錯誤の連続です。
数日まわっていると、契約が取れるようになってきたのです。

「おっ!これはイケるやん!」

と勘違いしてしまいそうなほど、契約が連続で取れる時が来ました。
しかし、問題は内側から起きたんです。

「ちょっと制作が追いつかへんから、営業にまわるのを待ってくれ」

営業ストップがかかりました。

僕は「3ヶ月必死に頑張って、並みの給料くらいは印税のように入ってくると、音楽に没頭できる!」という強い目標があったのですが、見事に花散りました。

僕の燃え上がった炎のようなやる気とパワーは、日に日に薄れていき、行動するのも嫌になるくらい、テンションが下がってきたのです。
そして、1年後ホームページ業をやめることになります。
また今までどおり、夜のバイトに戻り、1人で曲を作ったりする毎日が始まりました。

 

足圧の練習台に来てくれへんか?

祇園

 

2011年、また祇園のクラブでボーイをしながら、曲を作り、歌詞を書きプロのミュージシャンを目指していました。
相変わらず睡眠時間も少なく、とにかく曲作りに没頭していました。
しかし、音楽の世界は甘く無く、有名アーティストでもCDが売れない時代に突入していた頃です。
音楽で頑張っても報われ無いかもしれないと、半ば諦めていました。そう言えば聞こえは良いですが、ようは挫折したんです。
音楽で大成功して有名になって、観客を沸かせたいという夢は段々と薄れていたのです。

そのとしの10月、知り合いの社長さんに

「玄樹、今度足圧って言うマッサージの練習台に来てくれへんか?」

とお誘いがありました。
僕は、肩こり首こりでストレスもあり、クラブチームでのバスケで筋肉疲労と腰痛と、またまたあちこちに不調を抱えていたので、ワクワクしながら「行きます!」と答えました。

 

部活のような授業に衝撃

授業

 

授業当日、社長と現在の師匠である谷川仁師匠、足圧師を目指す生徒が2人。
場所は生徒さんの自宅で、師匠は神奈川から出張で指導に来るというスタイル。
正座をして授業を受けるイメージが強かったのですが、師匠がとてもアツく楽しく、話が面白かったので部活の様なイメージ。
生徒さんの練習台で呼ばれたのですが、まず師匠に施術をしていただきました。

「足でやってるのか?」

というほど繊細・正確なタッチで、ポイントを外す事無く全身施術をしていただきました。
あっ、半分寝ていたので、あまり覚えていません。笑

終わった後は、全身の力が抜けポーッとした気分で、肩こり首こり腰痛が驚くほど楽になっていました!
1回でここまで良くなる事に驚き。
そして、このポーッとした気分は3日ほどつづきました。日頃のストレスが強いと、こんな症状が数日つづきますが、良い傾向だと聞いていたので何の心配もなく過ごしていました。

その後、何度も授業が開催される度に、施術を受けにいきました。
受けるたびに、体の不調が本当に楽になり、呼吸も深く出来る様になって、体中の痛みが消えていったのです。
25歳なのに年齢の割にボロボロですね。
ぼく自身がトレーニング好きな事や、健康オタクな一面もあり、授業中に生徒さんよりも、師匠に質問していたのを覚えています。

 

より多くの人にこの感動をプレゼントしよう!

プレゼント

 

ある日、社長さんから電話がありました。

「谷川先生がすごくお前の事を気に入ってるんやけど、足圧習ってみーひんか?」

僕は断る理由が無かったので、「はい、やります!」と二つ返事で返しました。
2011年11月7日授業開始。足圧師人生がスタートするのです。

足首が固いので出来るのか?という不安をよそに、案外スムーズに技術を習得していけました。
師匠の指導が楽しく、習っている生徒も他に2名いたので、ワイワイ楽しかったんです。

「足圧って意外と簡単なんだな」

と少し調子に乗り始めた頃、壁にぶち当たりました。

「玄樹君の足圧は重すぎる。もっと重さを感じさせない押さえ方をしなさい!」

 

悩む

 

こんなアドバイスを師匠から受けました。ここからは苦労の始まりです。
毎日練習道具である足圧の達人を踏み、練習してもしても、重さが取れないのです。
答えが見つからず悶々としていた時に、授業がありました。ぼくは人より身長も体重もあります。

足圧で一番難しいのは、足を感じさせない手のような技術なんです。

答えがわからないまま、とにかく練習練習練習!!
そのまま日が過ぎていき、授業の日がやってきました。
もうこっちはドキドキです。多分怒られるやろうな~と半ばあきらめモード。
授業終盤になって、師匠の技術チェックが入ります。

「おっ!重さ取れたね!」

その瞬間気が抜けましたね。何事も気持ちのおごりとは怖いなぁと勉強にもなったものです。
今後の教訓になりました。

あっ、技術を習得中決めた事が一つあります。
「毎日1人は練習する」この日課をクリアするために、祇園で夜のバイト終了後スタッフを捕まえて練習したり、家に友達を呼んだり、バスケ仲間を施術したりと、練習の鬼になっていました。
この練習時に、足圧師の生き甲斐を見つける事になります。

「いつも頭痛薬飲んでいたのに、治りました!」
「腰の辛さが取れてバスケをおもいっきりできる!」
「お尻のしびれが取れて違和感が無くなった!」
「吐き気がしていた肩こりもなくなった!」
「肋間神経痛が一発でなくなった!」

などなど、嬉しい声が舞い込んで来たんです!
何とも言えない嬉しい気持ちになりました。

「人の悩みを解決出来るって、誰かにプレゼントをあげて喜んでくれたみたいな気持ちやん!たくさんの人にこの喜びをプレゼントしよう!」

足圧を一生の仕事にしようと、決意したのは施術を受けた方の喜びの声でした。
そして、順調に授業プログラムが終わり、東京青山に来るチャンスがありました。

 

なぜ青山で開業したのか?

青山

 

本部である、NPO法人足圧ボディケアアカデミーの事務所が、青山一丁目だったのです。
事務所と言えど、師匠は出張授業に出ており、常に空き家の状態。
谷川仁師匠が、全国500人のお弟子さんの中から、完全歩合で勝負出来る希望者を募り、その中からありがたく抜擢していただけました。

やはり京都で頑張るよりも、日本の中心である東京青山で勝負する事で、世の中に谷川流足圧術を広めるチャンスがあると確信。

2021年までに、この谷川流足圧術を世の中の施術で一流にしたいと思っております。
誰もが知っていて、「そこに行けば必ず治してくれる!」そんな技術者を1万人育てたいです。

体の筋肉が硬すぎて、手技では間に合わない、非常に辛く深い悩みを抱えている方がたくさんおられます。
そんな方のお悩みを、日本から根絶させたい!
そして、足圧をできる技術者が増えると、手技で手や体が疲れている整骨院や、マッサージ師の方の、体の負担も大幅に減らす事が出来るのです。
足圧以外に凄い先生方もたくさんおられますから、同業でいがみ合うのではなく、日本のためによりよい方向を目指せる団体も作っていきたい。

「体が辛い人のお役に立ちたい」

はじめた時は皆さんそんな思いだったはずです!
それらが実現出来ると、師匠が中曽根氏から頂いたお言葉「医療費削減と未病医学への貢献」
これが実現可能だと信じ日々邁進しております!

まだまだ未熟者ではありますが、世の中に足圧の良さを普及し、1人でも多くの方のお役に立ちたいと願っております。

手で効かないコリほぐします TEL 090-8882-0441 11時~21時 定休日:不定休

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